単にぶら下がっているのではなく、支柱と大きな歯車のようなものに繋げられ、それに制御されているようです。
戦中、金属の供出が求められた際、かつてそこにあった鐘は取り外され、戻ってくることはありませんでした。
神を称えるための道具が、武器として用いられたことに心が痛んだとの話を聞きました。
教会が60周年を迎えた時に、再び鐘をとの声が高まり、現在のものが設置されたそうです。
そんな物語を知らず、10:32くらいに鐘が鳴りますとだけ聴いて、数度の優しい音(甲佐教会のそれ)を想像していましたら、がらんがらんと街中に響き渡るかと思うような大きな音。
それは礼拝の始まりを告げる平和の調べ。
二度と失わせるようなことがあってはならないと思いました。
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