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2020年4月13日月曜日

週報ひとこと(49)20200412



肉体の命の限界を経験し、それでもなお永遠の命があることを宣言するイエス・キリストの復活の出来事。
現代史上もっとも無力を思い知り、祈ることしか残されていないような時。

イースター前夜に友人が礼拝続行の思いを綴る言葉が心に突き刺さった。

私はといえば、礼拝堂に集う形の礼拝を休止する決断をしたからだ。

戸を締め閉じこもる弟子たちのところにキリストは現れ、平和を告げる。
後ろ向きかもしれないそれぞれの場で出会うことが、私達を永遠の命に結び一つとすることも確かだ。

安井宣生

2020年4月6日月曜日

週報ひとこと(48)20200405



聖書を知的に味わうばかりでなく、体験すること。聖餐式はその代表的な取り組みです。感染症予防のためとはいえ、それができない悲しみを思います。
 
前任地では聖木曜日に「最後の晩餐」を味わう、食べる礼拝をしていました。
来年はできるといいですね。
 
イエスの判決から埋葬までを14の場面にまとめ、そのひとつひとつを噛み締め祈る「十字架の道行き」は中世以来行われてきました。
シンプルなそれを作ってみました。わたしを救うために十字架を担われるキリストの歩みをたどることで、わたしの罪深さを知り、その罪を赦される愛を味わえれば。

安井宣生

2020年3月31日火曜日

週報ひとこと(47)20200329

ルーテル博多教会(本文とは関係ありません)

ピースフルという名の施設でウイルスの感染が明らかになりました。
宿泊施設もある健康ランドのようです。

大きな風呂で手足を伸ばして寛ぐことのできる、まさしくピースフルな空間。
そのような場も危険となるのが、ウイルスの怖ろしさです。
誰もが無防備にのんびりと過ごす場が感染の広がりを助けてしまうなんて。

感染が判明したのはこの場を居住地としていた方と報じられ驚きました。
この方には娯楽ではなく生きることを支えられる場であったのです。
施設も行政もそれを受け入れて支える繋がりがある平和の場。
ご快復と回復を祈るものです。

安井宣生

2020年3月23日月曜日

週報ひとこと(46)20200322



神が人を牧師として立てる按手式が、2020年2月20日に博多教会にて行われました。

例年、東京教会(ルーテル教会宣教百年記念東京会堂)で行われますが、大人数での濃厚接触を避けて任地の教区での実施となりました。

迎える小倉教会の信徒代表の方が直接歓迎の言葉を述べる機会もあり、素晴らしい時でした。
その言葉に「新たな牧師は宝石の原石であり、ご本人と自分たちとで磨くことで輝きを引き出したい」とあり、期待と喜びと覚悟を思いました。

「人はその友によって研磨される」と旧約聖書の箴言にあります。
新たに誕生した牧師も出会いにより、ますます輝くことを楽しみに応援したいと思います。

安井宣生

2020年3月17日火曜日

週報ひとこと(45)20200315

3月15日に、世界祈祈祷日礼拝(ジンバブエ)を配信しました

新型コロナウイルスの感染を受ける側にも広げる側にもなりうる恐れの中、出席を控える方へ礼拝を届けるひとつの道となればと、礼拝のライブ配信を行いました。
教会員でない方に礼拝を覗いて頂くことにもなっているようです。

ある方から丁寧な感謝の便りをいただきました。
礼拝の内容についての細やかなコメント、配信がなされてとてもありがたいこと、そこで告げられた聖書の言葉に力を得たということばが綴られていました。
照れくささから顔を映さないようにしたことが、言葉に心を向かせる心にくい演出と評価くださり、配信の技術的な奉仕への感謝まで述べてくださいました。
この方は礼拝を見たのではなく、確かに礼拝に参加していたのだと思いました。
ライブ配信の可能性もなかなかいいものなのかもしれません。

安井宣生

2020年3月9日月曜日

週報ひとこと(44)20200308



旧日本軍の従軍慰安婦被害を記憶し、日本政府の謝罪と賠償を求め日本大使館の前で続けられる抗議のシンボルが「慰安婦像」(韓国では「平和の少女像」)です。
 
訪ねた日は雨が降っており、少女像はレインコートをまとっていました。
隣の椅子に腰掛け、雨に触れた手に触れると、当たり前ですが冷え切っていました。

私のあとに座った同僚の姿に、衝撃を受けました。
同僚は、自分が持っていた傘をそのまま少女像へと差しかけたのです。

私は「像」とみなし、同僚は「人」として接したのでした。

自分の至らなさを恥ずかしく、少女たちに申し訳なく思いました。

安井宣生

2020年3月2日月曜日

週報ひとこと(43)20200301


名もなきというか縁の下の力持ちである多くの存在に世界は支えられているし、自分もそうでありたいと思う。

同時に名を記すこと、掲げることで、その存在を忘れず、その存在の歩みに学び、自分の振る舞いを正されることも大切なことだ。

ソウルの切頭山殉教聖地を訪ねると穏やかな顔の人々のレリーフがある。信仰ゆえに1866年からの迫害により、斬首された人々を偲ぶための場。そこには多くの人の名が刻まれていた。

名を呼んで神は命を創造した。それは決して滅びない。

安井宣生

2020年2月26日水曜日

週報ひとこと(42)20200223

大韓イエス長老会ピョンガン教会

古代のイスラエルは、隆盛を誇る時もありましたが、それ以上に、強大な近隣諸国に振り回される経験を重ねています。

その例がエジプトとアッシリアです。
これらを現在の中国や日本になぞらえて韓国の厳しい状況に触れ、「個人的には、(日・中)は神の罰を受けるべきかもしれない」。けれど神はエジプトやアッシリアを祝福し、いやすと聖書は告げる(イザヤ19章)から、「(日・中)もまたご自分の民だと神は言うと受け止めているし、共に神の愛の言葉を共有する民として知り学びあいたい」。

そう韓国の牧師はお話くださいました。
聖書を生きる和解の人です。

安井宣生

2020年2月17日月曜日

週報ひとこと(41)20200216



手書きの聖書を初めて見ました。

2冊に分けてとじられた新約聖書です。すべて手で書き写されたものだそうです。
韓国の教会でのことです。母語とは異なる言語を習得したいという気持ちがあったわけではなく、それを強いられた歴史がありました。

自分の言語を奪われ、代わりに外国語の使用を強いられるという暴力の中で、その強いられた言語で神の言葉を綴ったのです。

敵に愛を伝えようとする、ゆるしのかたまり。これこそ聖書だと、手が震えてなりませんでした。

安井宣生

2020年2月9日日曜日

週報ひとこと(40)20200209


冬らしい寒さに包まれて、この時期に思い起こすことがあります。
それはナチスに抵抗したドイツの学生たちのこと。

ミュンヘンの学生たちが「全ドイツ人への訴え」と題した印刷物により、自由と平和を呼びかけました。見つかればその身は危険にさらされるのですが、彼らは人々の良心に訴えたのでした。

しかし、とうとう逮捕されてしまいます。
尋問を受け、逮捕から4日後の2月22日に死刑が執行されてしまいました。1943年のことです。

「白バラ」と呼ばれた彼らは散りましたが、その意志は継がれています。
継いでいかねばならないと思います。

安井宣生

2020年2月3日月曜日

週報ひとこと(40)20200202



屋根の様子を確認するためにと取り出されたのはドローン。
さっと舞い上がり、ところどころで停止飛行しながら写真を撮ります。
撮影されたのは、日々の暮らしの場ですが、なんだか不思議です。
普段見ることのアングルだからです。
神さまの眼差しを思いました。
けれどそれは上から見てるということではなくて、神さまは、私が気づかないあらゆるところを見てくださっているということです。

安井宣生

2020年1月27日月曜日

週報ひとこと(39)20200126



割引料金であったため、九州新幹線と山陽新幹線の乗り換えに、一旦、改札の外に出て発券手続きをしなければならないことがありました。「九州」と「西」とで別な会社だからです。

先日、ある旅行社の方から、新幹線の車椅子対応の座席は電話やネットなどではなく、駅の窓口でなければ予約ができないと聞きました。本人確認のためだそうです。
そういえば飛行機も航空会社の車椅子に乗り換えを求められるとか。タラップ式では搭乗を断られるということが話題になったことがありました。

それらは利用者のためではなく、業務の都合です。
私のケースはともかく、バリアが多い状況は改善が求められることです。

この旅行社は、様々な状況の方が旅を楽しむことができるようにとユニバーサルな旅行を企画しています。それに加えて、様々な状況について共に学ぼうと、当事者の講演を主催しています。例えば、アダルチルドレンの当事者、次回は出所した元受刑者の支援に取り組む支援者という具合です。旅行にとどまらず、皆で一緒に生きるために必要なことだと思います。その姿勢に教えられます。

安井宣生

2020年1月13日月曜日

週報ひとこと(38)20200112



ミケランジェロの「ピエタ」はイエスの死を悼むマリアの存在感が大きなものです。
傑作であると共に、このマリアの姿に神の慈愛・哀れみ(イタリア語でピエタ)を感じ、大切にされてきたのかと思います。

関係施設である愛児園の野外礼拝堂に設置されているピエタ像を見つめて思いました。
やはり、ピエタの主人公はイエスであり、人のあらゆる悲しみ苦しみをイエスは引き受けてくださるのだと。

悲しみ苦しみのさなかにある方を思い、祈ります。
そこでイエスは苦しみを共にする。

安井宣生

2020年1月6日月曜日

週報ひとこと(37)20200105


真言宗、浄土宗、浄土真宗、真宗大谷派、曹洞宗、日蓮宗、教派神道、カトリック、日本キリスト教団、バプテスト、メソジスト、ルーテル。
 
原子力に依存し、事故があってもそれを推し進める行政に対して、果たしてそれで良いのかと問うことで宗派を越えてつながっています。いのちは大切だというところに立つためです。
 
その足がかりとして青森の六ケ所村の核施設の運転差止めを求め提訴することへ導かれました。
宗教者として連帯しようとの呼びかけに応じ、個人的に原告団に加わることにしました。
無数の涙の当事者となるため。
https://www.kakunensaiban.tokyo/

2019年12月22日日曜日

週報ひとこと(36)20191222



全10曲。それぞれの好きなクリスマスの賛美歌を順に歌い、とても満たされました。

賛美歌集に載らない歌はあまり知られませんが、素晴らしい歌は多くあります。
日本語にはなっていないと思うのですが「Mary,Did you know?」という歌があります。

母マリアに対して、「あなたの赤ちゃんが『水の上を歩くことになるのを』『子どもらを救うことになるのを』『見えぬ人に光、聞こえぬ人に音、息絶えたものに再び生を与えることになるのを』『その赤ちゃんにキスする時、あなたは神の顔にキスしていたのを』知っていましたか」などと問いかける歌です。

マリアは知らないし、苦労も少なくなかったはずです。
でも、イエスを抱き祝福されました。
クリスマスはイエスを抱く時です。あなたも祝福の源を抱くのです。 

2019年12月9日月曜日

週報ひとこと(34)20191208



ショックがある。中村哲医師のこと。けれど敗北としないため武器を持たぬ歩みを継ぎたい。


*今週は週報のスペースの関係で、1行だけの「ひとこと」となりました。
 しかし、あまりにさっぱりしていますので、以下、安井牧師のFacebookに投稿されたものをおまけで掲載します。
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命のために荒れ地に水の流れを作る人。
武器を否定し平和の道を築く人。
それが暴力によって奪われる悲しみと怒りがあり、無力さを思う。
 
けれど、それは敗北ではない。
荒れ地に水を流し続け、新たな命へとつなぐ限り。
この道を歩き平和を築こうとする限り。
私もあなたもそれに連なる限り。
 

2019年12月1日日曜日

週報ひとこと(33)20191201



アドヴェントを控えて、イルミネーションの設置作業が行われました。
前任牧師と教会の皆さんの工夫が積み重ねられた歴史を託されたような気持ちでした。

当教会のイルミネーションは、大きなクリスマスツリーをイメージしたものと思います。
クリスマスイルミネーションは、木の枝の向こうに輝く星々を見たルターがひらめいと言われます。

私たちが目にする星の光は、ずーっと前に放たれたものです。ずっーと前から、光が向けられている。気づいても気づかなくとも神さまは、光を届けてくださっている。
その嬉しい気持ちを今年も告げたいと思います。

牧師 安井宣生

2019年11月25日月曜日

週報ひとこと(32)20191124



 「批判ばかりされた子どもは非難することをおぼえる」という言葉に始まる詩は、「可愛がられ抱きしめられた子どもは世界中の愛情を感じることをおぼえる」と結ばれます。
 (全文を下記に)

 慈愛園の創立100周年記念講演で教えていただきました。マイナスの投げかけを受け続けるとマイナスの姿勢が、プラスの投げかけを受けるとプラスの姿勢が育つ。当たり前といえば当たり前かもしれません。

 でも、当たり前を意識し、繰り返し肝に命じることがなければ、忘れ去られてしまうものでもあろうかと思います。

 スウェーデンでは、この詩が街中にポスターとして掲示されているそうです。
 加えて中学の教科書にも掲載され、教えられると聞きました。

 言葉が養い、励まし、作るということに信頼し、それを伝え、共有しているのです。
 それは、まだ見ぬものを信じることでもあるのではないかと思います。
 
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『子ども』  ドロシー・ロー・ノルト

 批判ばかりされた子どもは
 非難することをおぼえる
 
 殴られて大きくなった 子どもは
 力にたよることをおぼえる
 
 笑いものにされた子どもは
 ものを言わずにいることをおぼえる
 
 皮肉にさらされた子どもは
 鈍い良心のもちぬしとなる
 
 しかし、
 激励をうけた子どもは
 自信をおぼえる
 
 寛容にであった子どもは
 忍耐をおぼえる
 
 賞賛をうけた子どもは
 評価することをおぼえる
 
 フェアプレーを経験した子どもは
 公正をおぼえる
 
 友情を知る子どもは
 親切をおぼえる
 
 安心を経験した子どもは
 信頼をおぼえる
 
 可愛がられ抱きしめられた子どもは
 世界中の愛情を感じとることをおぼえる

2019年11月18日月曜日

週報ひとこと(31)20191117

めぐみ幼稚園のサイトから

子どもたちに祝福を祈る時を、日曜日の礼拝、そして幼稚園での祝福礼拝において持たせていただきました。合わせて300人ほどの大勢の子どもたちであり、一人ずつお祈りをしますので、流れ作業のようでもありましたが、どの子も自分の番が来ると緊張の面持ちや笑顔で応じてくれました。

頭に手を置き、「神さまのお守りがあるように」と言うと、「そうだねぇ」いう子も。こちらが祝福されました。

2019年11月4日月曜日

週報ひとこと(30)20191103


コンクールを題材とした小説を読んだからかもしれません。
当教会の礼拝堂を会場に行われたピアノのコンクール予選にも興味津々でした。

ある方の演奏中のこと、ふと、出場を控えた2人の方の手に目が止まりました。なにやら、小刻みに動かしています。

もしかして、目の前で演奏中の曲に合わせて指を動かしているのかと思いました。

けれど、そうではありません。演奏中の曲と指の動きはあっているようには見えません。
ということは、膝の上で他の曲、おそらくご自分の演奏する曲を弾いているのかと思い至りました。

礼拝堂にピアノの音色が響く中、この人達の頭の中には別な曲が流れている。

多くの人に聞こえる音楽があり、また一人にしか聞こえない音楽がある。
世界は表れ出るものだけでできているのではないことを実感しました。