2016年11月10日木曜日

健軍情報98-ちょっとずつ不便なのだけれど口にしづらい健軍の日々

改修工事中の熊本日赤病院
なんだかやっぱり、微妙に不便なのだ。
でも、それがどうしたのだといわれれば、
それほどのこと、というわけでもない。
別に、比較的近所のスーパー6軒のうち3軒が閉鎖・撤退していたって、
残りの3軒で買い物が出来れば、それほど大きな問題というわけではない。
時折出かける大型ショッピングセンターが、
2軒とも半分しか店を開けていなくても、
それで生活が困るほどのことではない。
行きつけの飲み屋が何軒かつぶれたって、
映画館や音楽ホールの再開が遅れていたって、
別に食べるに困るほどのことではないのだ。
教会の隣の焼き鳥屋は仮設店舗で営業中。まだ健軍に戻れない。
 健軍から東に車を走らせれば、累々としたがれきの広がる益城町。
西に向かえば、少なくとも見た目には
不自由さを意識せずとも暮らせるようになってきた熊本の市街。
その狭間にあって、多少の不便だの何だのと口にしづらい狭間の地域に、
健軍の人たちは暮らしている。
地域の子どもたちの思い出を刻んだ秋津有楽園も廃業した。
家賃収入を年金生活の足しにしていた別宅が全壊して、
老後の生活設計に不調をきたしても、
自分が住んでいる家が無事ならば、困ったと口にするのは憚られる。
これから売電して設置費用を回収するつもりで
屋根の上に設置したばかりの太陽光パネルが壊れて、
資金回収の見込みが立たなくなってしまっても、
雨漏りしている屋根よりは、だいぶんましという他ない。
家屋の一部損壊では、事実上なんの支援もないわけだし、
壁のヒビや柱の間のすき間などは、それが個人の住宅なら、
工務店に相談したとしても、、
「とうぶん見ないようにして眼の方を塞いでおいて下さい」、
とでも云われるのがオチだ。

避難者さんが暮らしていた教会の裏のアパートも更地になった。
みんな、あれこれ少しずつ不便や不満があり、
でも暮らしづらい仮設住宅のひとたちの生活を思えば、
大きな声で不満を口にするわけにもいかない。
そのたびに、そのつぶやきをそっと呑み込むだけだ。

工事中の日赤。市民病院は移転新築の方針だという。
これは我が家のはなし。
部活でしたケガの手術を、ほんとはすぐに済ませて
1日でも早くリハビリを始めたかったのだけれど、
近隣の市民病院は「倒壊の恐れあり」で、閉鎖したまま。
その結果お世話になった日赤病院は、市民病院の患者さんを受け入れて大混雑。
病棟にも順番に補修工事が入っている関係で、手術は2ヶ月待ち。
それで練習への復帰も2ヶ月先延ばし、というわけ。

熊本空港も店舗の半分は閉鎖され、全面復旧にはほど遠い。
 そんな、歯がみしたり、机を叩いたりするほどでもないような
微妙な不自由さを誰もがのみ込みこんで、
健軍の人たちは、西を見たり、東を見たりしながら、
日々を過ごしているのだ。
 
 
 


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