2018年4月1日日曜日

あの夜も咲いていた(小泉牧師コラム)

2年前の4月17日の夜。教会前のベンチに腰をかけた。前々日の前震から前日未明の大揺れ。被害の確認と避難所の開設。水と食糧の確保。関係各所への連絡。SNSによる情報発信。繰り返される余震。週報の作成と礼拝の準備。ほとんど寝る間もなかったまる3日間を過ごして、もうからだは全身ゴムのようにクタクタになっていたけれど、アタマのほうは、次々と考えねばならないこと、動かねばならないことのリストを更新し続けていた。この日の朝になって、ようやく水道が復旧。夜になって待ちわびた外部からの支援が到着し、教会避難所の運営になんとか目処が立ちつつあった。 タバコを吸いに外に出た友人につきあって、電車通り側のベンチに腰を下ろすと、健軍教会のシンボルツリーといってもいいであろうハナミズキの花が、夜空いっぱいに、うす桃色の花をひろげていた。健軍教会に赴任してからも、あまり気にもとめていなかったのだが、夜でも咲いているんだなぁ、とあたりまえのことを考えた。そういえば、咲き誇っていた花木に目が眼がとまり、この花をカメラに収めたのは14日の夕方。ちょうど前震の発生する数時間前のことであった。 この春、毎年地震の季節に花をつけるこのハナミズキの木に、思い立ってライトアップをはじめてみた。花は、昼間だれかが眺めたり、写真に収めたりするような時間でも、また真夜中、誰も人通りの無いような時間でも、変わらずそこに咲いている。キリストの愛というものも、きっとそのようなものなのだ。ところで、ハナミズキの花と見えるのは実は花ではなくて、ソウホウ片と呼ばれる、葉っぱの一部なのだそうだ。本当の花は、そのソウホウ片の真ん中に密集して咲いている緑色の王冠状の部分で、これはキリストの茨冠にもたとえられてきたという。きっとこの先、ハナミズキが咲くたびに、地震のあの夜を思い出す。キリストの茨冠とともに。(コイズミモトイ)

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