2016年9月20日火曜日

健軍情報92-ギャップ

益城町 木山の交差点から
9月16日。
思えば今日で5ヶ月か・・・。
この日は益城町が、県下最大の避難所である益城総合体育館避難所の
来月末での解消をめざす、との発表したこともあり、
既にニュースバリューがなくなってしまったらしい全国でも、
それなりにニュースになっていたようだった。

熊本の「新聞」クマニチでも、
さすがにトップは毎日地震関連、ということもなくなったが、
それでも地元紙だけあって
丁寧に地域のニュースをひろってくれるので、
地元紙のありがたみを感じている。
 
最近になって、ようやく熊本市内では、
被害のひどいビルや住宅の復旧工事が本格化していることが感じられる。
そこかしこに空き地が見られるようになり、
「売り地」などと看板が出ているし、
銀行や病院など、健軍界隈でもビルにシートがかかって、
あちこちで補修工事がはじまっている。
 そして市内で、そうした復興の息吹を感じれば感じるだけ、
時が止まったような益城町の惨状とのギャップを感じざるを得ない。

誰もいなくなった益城の健康センター はぴねす
この日は、愛児園・こどもL.E.C.センター避難所から、
益城町健康センター避難所へと移られ、
そこからテクノ仮設団地に入居された元避難者さんの
頼まれていた自転車を
健康センターからテクノ団地へと運んた。

県下最大の仮設 益城町テクノ団地
 うちから益城町まで、クルマで5分とかからないが、
益城町に入ると途端に風景が変わり、
ここが被災地であることを思い知らされる。
教会からクルマで5分ほど  陽に晒された車イスが痛々しい
逆に言うなら、市の中心部に入っていくと、
熊本城でも見上げなければ、
被災地であることを意識しなくても済むようになってきたのだ。
それはそれで、嬉しいことでもあるのだが、
「復興しつつあることをアピールしなければ観光客に来てもらえない」、
と、元気さばかりをアピールする風潮の中で、
いまだに仮設に入れずにいる方、
公費解体の順番が回ってくるのをを待ち続けている方、
屋根のブルーシート故に台風の到来に怯えている方、
その他、被災外国人や被災障がい者など、
支援の谷間におかれて、
取り残されていく思いでいる方々の存在が、気にかかるのだ。
そして、そういう方々ほど、
「いや、もっと大変な方々がおられますから、
その方たちに比べれば、私たちはまだマシなんです」、
と、さらに厳しい方々を比較対象におかれるのだ。

益城町 木山あたり
すでに、このプログでも報告してきたように、
ルーテル教会の対策本部である「できたしこルーテル」は、
被災障がい者の支援のための道筋をつけた。
健軍教会は、まだ公式発表には至っていないが、
チャリティー音楽会や、復興支援バザー等を通して、
被災学生のための奨学金事業をスタートさせる準備をしている。

多くの方々の支援を得ながら、
ギャップを埋めていくために働いていきたいし、
教会が地域のために働いていく役割を与えられていることを、
ありがたく思う。

2016年9月19日月曜日

健軍情報91-障がい者のご家庭でのボランティア

9月13日、できたしこルーテルの新しいパートナーである、
「被災地障害者センターくまもと」のボランティアに参加した。
この間、ルーテル教会のセンターへの協力のあり方を調整するために、
何度もセンターに足を運んできたのだが、
ボランティアをさせてもらうのは、はじめてのこと。
 
 センターは慢性的にボランティア不足の状況にあるのだが、
その働きの専門性から、障がい者支援の経験のある方及び
障がい者の家族に限るというボランティアの条件があって、
その経験を、ボランティアの申込用紙に記入することになっているのだ。
わたしの場合は、障がい者施設でのチャプレン経験13年、と記入して、
ボランティアをさせていただいた。
他団体のボランティアでもあるので、
ちゃんと東区の社協に出かけてボランティア保険にも加入し、
安全靴を履いての出発である。
センターは熊本市東区の長嶺という地域にある
この日は、わたしも加わった6人のチームの他に2チーム、
計3つの班に分かれて、下見を含めて合計5箇所の現場を廻った。
事務所には、始終SOSの電話がかかってくるので、
事務担当のスタッフが、ボランティアの人数やキャラクターを見ながら、
前夜のうちに派遣先を調整しておいてくださる。
9時から行われる朝のミーティングで、
それぞれが依頼者の背景や依頼内容を確認して現場に向かう。
センターのボランティアは、JDFという
全国の障がい者関係団体の集まりからのあっせんで、
1週間単位で参加しているボランティアさんが多いのが特徴だ。
わたしが送られた現場は、
障がいをお持ちのお嬢さんがおられる益城町のお宅。
ご家族は、すでに市内の公営住宅に引っ越しておられるのだが、
全壊判定のお宅を解体する前に、家屋の中を片付けて、
とっておかなければならないものを運び出さねばならない。
クルマは益城町の山間部にむかっていく
 山あいに建つ2階建ての広いご自宅の物の中から、
狭い公営住宅に持っていくことが出来るものだけを選び出し
より分けていくのだが、それ以外のものは、すべてを手放す他はない。
自宅といのは、いうならば家族がたどった歴史と、
その思い出が詰まった宝箱であるともいえる。
そこから、そのうちの一部分だけを選び出す、という作業は、
見ているだけでも、なかなか痛々しい。
そのことは、障がいをお持ちのお嬢さんにとっても、
また辛い作業であるように思えた。
 
益城と市内をクルマで2往復し、
夕方の会議が始まる5時ぎりぎりにセンターに帰着。
夕方の会議では、それぞれのチームの活動と状況の報告をする。
そのお宅での働きが、継続されるのか、終結したのか、
ということも、重要な確認事項となる。
その後、翌日伺うことになるお宅の背景と依頼内容を確認して散会。
担当者は、当日の記録をまとめ、
事務所スタッフが、翌日それをファイルにまとめていく。
 
いったんそこでの依頼が終了したとしても、
そのお宅の状況に変化が起きるタイミングで、
再びSOSが入る可能性も多分にあるし、
必要に応じて行政の福祉機関や、
民間の福祉サービスにつないでいく必要も生まれてくる。
ボランティアは始終入れ替わっていくし、
その方の障がいについてや家族の状況なども含めて、
記録が蓄積されていくことも、大切な事なのだ。
ほとんどのお宅が、これで充分落ちついた、というには程遠いのが現状である。
そもそも障がいを抱えて地域で生活するということは、
地震がなかったとしても、地域の支えなくしてはなり立たない、
ぎりぎりの選択肢なのだ。
益城町 木山交差点あたり
そして、だからこそルーテル教会がここに関わっていく意義も
大きいのだと云えよう。
この日の作業は、ルーテル教会がセンターに派遣することになった
大山さんとも同じ現場であった。
彼女の働きぶりについても、また折を見て報告していきたい。

 

2016年9月16日金曜日

健軍情報90-できたしこの新展開

今回は、健軍教会からではなく、
ルーテル教会の対策本部である
「できたしこルーテル」からのご報告です。
 
この間、調整に調整を重ねながら準備してきました
ルーテル教会のあたらしい被災者支援の働きが、
ようやく報告できるところとなりました。
ルーテル教会の救援対策本部である「できたしこルーテル」は、
福岡地区の牧師さんたちを中心とするチームですが、
これまで緊急支援物資の配布や、
各教会・施設の支援活動のサポートにはじまり、
5-6月は愛児園・こどもL.E.C.センター避難所の運営支援、
7-8月は、主として避難者さん方の引越支援や、
益城町広崎地区でのガレキ処理の事業に取り組んできました。
このために、現地の専従ボランティアとして
福岡の牧師さんたちと共に働いて下さったのが、
神水教会の牧野孝司さんでした。
13日に行われた対策本部会議の様子
被災地の状況の変化に伴い、こうした事業がひと段落ついた9月から、
「できたしこルーテル」は、新しい取り組みをスタートさせました。
それが、被災地障害者センターくまもと、と協働していく働きです。
同センターは、熊本地震を受けて、全国的な障害者団体の集まりである
JDF(日本障害フォーラム)の現地センターとして開設された
被災障がい者の支援センターです。
全国のJDF関連施設から、障がい者支援の経験のある
ボランティアを1週間単位で受け入れるなどして
被災障がい者の支援にあたってきましたが、
7月中旬には、支援要請の電話が1日に70本も入電するなど、
障がい者支援の経験のあるボランティア、
特に、長期で働くことの出来るボランティアを切望しておられました。
 
被災障がい者、中でもなんとか自立生活を続けてこられた方や、
家族の支援によって地域で生活してこられた方々のおかれた状況には、
厳しいものがあります。
ほとんどの避難所・仮設住宅が、
障がい者が生活するには適していないため、
大勢の障がい者が、危険な家屋に住みながら、
支援の手を待ってこられたのです。
 
そこで、できたしこルーテルでは、
このような困難な中にある障がい者の支援に関わるため、
牧野さんに代わる新たな専従ボランティアをたてて、
同センターに派遣することにしたのです。
しかしながら、センターのボランティアは、その働きの特殊性から、
障がい者支援の経験のある方と障がい者家族に限られていて、
どなたでもいい、というわけにはいかないのです。
そこで、思いを持って関わってくださる方を求めていたところ、
健軍教会避難所の避難者さんであった大山直美さんという方が、
障がい者関係の求人を探しておられることがわかり、
相談しました結果、ルーテル教会からの専従ボランティアとして、
センターで働いてくださることになったのでした。
大山さんのセンターでの働きは、当面3ヶ月程度を予定しており、
その後のことは、また追って検討されていくことになるでしょう。
熊本市東区長嶺にあるセンターの事務所
 もちろんこれからも、できたしこルーテルのメンバーで、
センターでボランティアが出来る人たちは、
可能な範囲で、センターの働きに関わっていきますし、
ルーテル教会の障がい者施設からのセンターへのボランティア派遣なども、
実現できれば、と願っています。
 
そして何より、わたしたちのこの働きが、
被災地で困難な生活を強いられている障がい者の方々の手助けになれば、
と願うものです。
みなさまのご支援を感謝いたします。
 

2016年9月14日水曜日

けんぐん水よう音楽会 石垣博志さん登場

今月の水よう音楽会
4月に出演を予定しながら、教会の避難所化と
ご自身の罹災のために音楽会自体が取りやめになってしまっていた
石垣博志さんの登場です。
軽妙なトークと情感あふれるチェロの演奏で人気の
石垣さんのことですから、
楽しい音楽会になることでしょう。
ピアノでのお相手は、こちらも人気の藤本史子さん。
「ありがとう、チェロ」と題して、
音楽への感謝の演奏です。
教会でも、9月からの1年間の音楽会は、特別に
震災復興のチャリティー音楽会とすることを決めました。
入場は無料です。
お帰りの際にお願いしているカンパは、
すべて震災復興のために用いられます。

 
多くのみなさんのお越しをお待ちいたしております。

2016年9月10日土曜日

健軍情報89-御船再訪


避難者さんのためにケアマネさんが必死に探してくださったサ高住
この木曜日、1週間ぶりに御船スポーツセンター避難所を訪ねました。
先日伺った折、皆さんいい感じでギターで歌っておられたので、
うちの避難所の避難者さんだった大山桂司さんにも、
ここで歌ってもらったらいいのでは、と勝手に考えたのです。
それで、この避難所でドリームカフェを運営しておられる
在日大韓熊本教会の金聖孝牧師に連絡を取って、
ギターを抱えた大山さんと一緒に、再度センターをお訪ねしてきたのでした。
視覚障がい者柔道で「世界」のタイトルをとったこともある
アスリートでもある大山さん
わたしはギターはまったくダメですが、
大山さんは、先日健軍教会でコンサートをなさいましたし、
健軍商店街を中心に、ストリートでも歌われるので、
ギターもトークも、慣れたものです。
往年の名曲や、ご当地ソングの火の国旅情などを歌って、
避難者さんやボランティアさんから
やんやの喝采を浴びていました。
この日は、佐世保からボランティアに入っておられた
日本キリスト教団の深沢牧師とも再会しました。
深沢先生とは、健軍教会がオルガン購入を検討していた2011年に、
佐世保教会が所有しているガルニエ社のポジティフを、
見学・試奏させてもらいに出かけたご縁があるのです。
結局、健軍教会も、佐世保教会と同型の
中古のポジティフオルガンを購入することとなり、
その節には、大変お世話になったのでした。

ひょんなことから、いろいろなつながりが結びあわされますが、
深沢先生も、わたしと同じく木工を趣味にしておられ、
わたしよりも遙かに合理的で安全な道具や治具を使って、
避難者さんたちにマイ箸づくりの指導をなさっておられました。
アリーナの中は、ごらんのように布で仕切られた避難スペースです。
この日は97人の避難者さん。
 夕方、80日間の入院生活を終えて退院してこられた
元避難者の会員さんを訪ねた帰り、
くれなずむ江津湖畔でひと息つきました。
この江津湖も、地震の直後は水涸れが心配されましたが、
今はご覧のとおり元通りです。
でも、地盤沈下の影響で、
あちこち水が涸れたり、新たに吹き出したり、
地面の下も地表と同様、
いろいろややこしいようです。


黄昏時の江津湖畔

2016年9月9日金曜日

健軍情報88-見えること見えないこと

今週は、台風10号の到来からスタートした、
あわただしい1週間だった。
「震災後」であることを忘れるな、と云わんばかりに、
いつになく大きめの余震も多かった。
 
月曜日の朝の飛行機で、東京に仕事に出る予定だったが、
台風の動きが微妙だったため、
飛行機を振り替えてもらって、
日曜の夜から上京する羽目になってしまった。
夜のフライトだったため、カメラを機内に持ち込んで、
熊本の夜景を狙ってみた。
熊本の方にしかわからないかもしれないが、矢印が熊本城。
城下に上通り・下通の繁華街が確認できるし、
白川にかかる大甲橋から左の方に、
電車通りが伸びていくのがわかる。
鳥の目になって見れば、震災後といえども変化は伺えない。
とはいえ鳥は夜景は苦手でしょうけれど・・・。
 
帰りは火曜日の午後。
機窓から健軍教会を視認することはできないのだが、
下江津湖の位置を手がかりに、
大まかな狙いをつけて、シャッターを切った。
矢印の先が、あとで位置を確認したところの健軍ルーテル教会。
 
益城と違って、市内では屋根のブルーシートも減ってきた、
と感じていたが、こうして上空から見下ろすと、
まだまだ青い屋根がたくさんある。
この写真で見るところ、数が多いのは
健軍本町や尾ノ上あたりだろうか。
確かに、教会員さんの住んでおられる健軍本町あたりは、
地上をあるいていても、被害の大きさがよくわかる。
 
飛行機は、熊本空港への着陸間際に、
広安愛児園・こどもL.E.C.センターの上空を通過する。
いまは、すでに撤去され、
芝生の色の違いに、その足跡を残すのみだが、
矢印の先が、「できたしこ」のプレハブが設置してあった場所だ。
矢印の左側が広安愛児園。益城町唯一の児童養護施設。
そして右側が情緒障がい児短期治療施設 こどもL.E.C.センター。
こちらは、県下唯一だ。
 
愛児園の北側(写真では下側)は、益城町古閑という地域だが、
この地域もブルーシートが多い。
住むことを放棄されてしまった家屋には、シートが張られていないので
被害を受けている家屋かどうかは、上空からはわからない。
地域を歩いてみれば、解体を待つばかりの家屋も多いので、
すでに仮設住宅にで生活しておられる方も多いのだろう。
ちなみに、こどもL.E.C.センターの右側に広がる
ほとんどブルーシートが見られない住宅地のワンブロックは、
右端に見える道路までのすべてが愛児園の敷地だった。
モード・パウラス宣教師が、
陸軍演習場だった広大な土地の払い下げを受けて、
荒野を開拓し、広安愛児園を開園したのだ。
 
そして50年の後、その土地の半分を売却して、
そのお金でこどもL.E.C.センターが設立された。
土地を購入した業者によって、
今から20近く前に宅地開発されたので、
新しい耐震基準で建築されている家屋群。
それで、ブルーシートがほとんど見られないのだろう。
 
それから、最初の写真は、あんまり関係ないのだけれど、
東京上空から撮影した同じ日の写真。
矢印の先は、20年ほど前、NCCで働いていた頃に住んでいた
京急六郷土手の小さなマンション。
 
・・・そんな頃もありました。
 
 



2016年9月3日土曜日

健軍情報87-できたしこサイダー

 
注文は下記サイトから
ルーテル教会の対策本部が協働してきた
NPO法人わかちあいプロジェクト。
ルーテル教会の引退教師である松木牧師が立ち上げ、
難民支援やフェアトレードに取り組んでこられた団体だが、
東日本の時から、災害支援にも力を入れておられる。
このわかちあいプロジェクトが熊本の被災者のためにつくった
フェアトレードの商品が、この「できたしこサイダー」。
頒価270円と少し割高だが、熊本支援の募金付なのだという。
 
この、できたしこサイダーを、熊本の被災者の方々に、
ということで、一昨日、御船スポーツセンターに、
そして昨日、益城総合体育館へと出かけてきた。
御船の被害も大きかった。一昨日現在で避難者117名。

御船スポーツセンターは、県下2番目の規模の避難所。
この避難所では、
日本キリスト教団九州教区と在日大韓基督教会とが協力して、
ドリームカフェというカフェを運営しておられるので、
このサイダーも、そのカフェで使っていただこうという意図。
フォークや懐メロのオンパレード
お昼前にお伺いしたのだが、木曜日はだいたい歌声喫茶状態とのことで、
牧師さん方が、ギターを抱えて一所懸命に歌っておられる。
おひとりは、熊本ではおなじみの在日大韓熊本教会のキム先生。
あとのおふたりは、バプテスト連盟鳥栖教会の野中宏樹先生と息子さん。
野中先生とは、神戸の震災支援の時にお会いして以来、
21年ぶりの再会で、お互いにびっくりしました。
青シャツが野中牧師。赤いシャツは避難者さん。
「御船のことをアピールして下さい」と。
翌日は、益城総合体育館へ。
こちらは県下最大規模の避難所で、
ここでは、九州臨床宗教師の会の方々が、
カフェデモンクという傾聴カフェを開いておられます。
現在でも300名ほどの方々が暮らしておられる
こちらにもできたしこサイダーをお持ちして、
少しだけカフェの運営を手伝ってきました。
「できたしこがんばろう」のロゴがかわいい。
「できたしこ」はいいけど、「がんばろう」はいらん、など
避難者さん方の話の糸口にもなったようで、
喜んで下さいました。
 
あちこちで、地道な取り組みが続けられています。
 
嘆いてばかりもいられませんからね。

健軍情報86-致し方ないのか

益城総合体育館へと向かういつもの道
北日本の台風被害に、胸痛む思いがして、
支援物資として戴いていた長靴と雑巾を、
さっそく岩手県に向けて発送したら、
今度は熊本に台風が近づいている。
とりあえず気持ちだけでも、と思い倉庫の品を発送したが・・・。
このところ、
少し大きな余震が続いていると思っていたら、
今度は台風。
余震もまずいが、台風もまずい。

市内では、
少しずつ減ってきているといわれている屋根のブルーシート。
益城ではあまり減っていないように思える。
それにもまして、シートを貼るまでもなく放置されている
廃材や危険家屋のことも心配だ。
廃材が町中にまき散らされることになるのか
 傾きつつもなんとか建っている危険家屋の数々。
中に人は住んでおられなくても、
引越に備えて、家財を保管しておられる方が多い。
シートが飛んだり、雨が降り込んだりすると、
家財は仕えなくなるし、家自体も加速度的に傷んでいく。
 
あまり見かけない看板だが、必要だとするなら町中に必要だ。
そもそもこうした家屋は、
秒速何十メートルという風には到底耐えられそうもない。
風で建物が倒れたり、廃材が風に煽られて舞い散っていく、
となると、街中がどうなってしまうのか。
益城町木山周辺にて

少しずつ「廃屋」に近づいていく家屋と、
少しずつ「廃材」に近づいていく廃屋が、シームレスに連なっている。
すべての処理に2年かかるというのだから、
致し方ないといえば致し方ないのだろうが、
あまりに痛々しい町並み。

 
台風被害の大きくならないことを祈るのみ。