2016年9月19日月曜日

健軍情報91-障がい者のご家庭でのボランティア

9月13日、できたしこルーテルの新しいパートナーである、
「被災地障害者センターくまもと」のボランティアに参加した。
この間、ルーテル教会のセンターへの協力のあり方を調整するために、
何度もセンターに足を運んできたのだが、
ボランティアをさせてもらうのは、はじめてのこと。
 
 センターは慢性的にボランティア不足の状況にあるのだが、
その働きの専門性から、障がい者支援の経験のある方及び
障がい者の家族に限るというボランティアの条件があって、
その経験を、ボランティアの申込用紙に記入することになっているのだ。
わたしの場合は、障がい者施設でのチャプレン経験13年、と記入して、
ボランティアをさせていただいた。
他団体のボランティアでもあるので、
ちゃんと東区の社協に出かけてボランティア保険にも加入し、
安全靴を履いての出発である。
センターは熊本市東区の長嶺という地域にある
この日は、わたしも加わった6人のチームの他に2チーム、
計3つの班に分かれて、下見を含めて合計5箇所の現場を廻った。
事務所には、始終SOSの電話がかかってくるので、
事務担当のスタッフが、ボランティアの人数やキャラクターを見ながら、
前夜のうちに派遣先を調整しておいてくださる。
9時から行われる朝のミーティングで、
それぞれが依頼者の背景や依頼内容を確認して現場に向かう。
センターのボランティアは、JDFという
全国の障がい者関係団体の集まりからのあっせんで、
1週間単位で参加しているボランティアさんが多いのが特徴だ。
わたしが送られた現場は、
障がいをお持ちのお嬢さんがおられる益城町のお宅。
ご家族は、すでに市内の公営住宅に引っ越しておられるのだが、
全壊判定のお宅を解体する前に、家屋の中を片付けて、
とっておかなければならないものを運び出さねばならない。
クルマは益城町の山間部にむかっていく
 山あいに建つ2階建ての広いご自宅の物の中から、
狭い公営住宅に持っていくことが出来るものだけを選び出し
より分けていくのだが、それ以外のものは、すべてを手放す他はない。
自宅といのは、いうならば家族がたどった歴史と、
その思い出が詰まった宝箱であるともいえる。
そこから、そのうちの一部分だけを選び出す、という作業は、
見ているだけでも、なかなか痛々しい。
そのことは、障がいをお持ちのお嬢さんにとっても、
また辛い作業であるように思えた。
 
益城と市内をクルマで2往復し、
夕方の会議が始まる5時ぎりぎりにセンターに帰着。
夕方の会議では、それぞれのチームの活動と状況の報告をする。
そのお宅での働きが、継続されるのか、終結したのか、
ということも、重要な確認事項となる。
その後、翌日伺うことになるお宅の背景と依頼内容を確認して散会。
担当者は、当日の記録をまとめ、
事務所スタッフが、翌日それをファイルにまとめていく。
 
いったんそこでの依頼が終了したとしても、
そのお宅の状況に変化が起きるタイミングで、
再びSOSが入る可能性も多分にあるし、
必要に応じて行政の福祉機関や、
民間の福祉サービスにつないでいく必要も生まれてくる。
ボランティアは始終入れ替わっていくし、
その方の障がいについてや家族の状況なども含めて、
記録が蓄積されていくことも、大切な事なのだ。
ほとんどのお宅が、これで充分落ちついた、というには程遠いのが現状である。
そもそも障がいを抱えて地域で生活するということは、
地震がなかったとしても、地域の支えなくしてはなり立たない、
ぎりぎりの選択肢なのだ。
益城町 木山交差点あたり
そして、だからこそルーテル教会がここに関わっていく意義も
大きいのだと云えよう。
この日の作業は、ルーテル教会がセンターに派遣することになった
大山さんとも同じ現場であった。
彼女の働きぶりについても、また折を見て報告していきたい。

 

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