2016年5月12日木曜日

健軍情報54-まだ記念しない

わたしの留守中に某放送局さんから、地震1ヶ月の記念の礼拝がありますか、
と問い合わせがあったそうです。
正直、まだ何も記念する気にはなりません。
この出来事は、わたしたちにとって、まだ進行中の出来事だからです。
「少し落ちついたら、あの時こうだった、といいあいながら
ゆっくり焼酎でも呑みたいね」、などと言い交わしていますが、
逆に言うなら、その時はまだ来ていない、ということです。
この出来事を振り返って、客観的に語ることが出来る時がいつか来るでしょう。
早くそういう時が来ることを願っています。
  ただ日曜日の礼拝では、この地震とそれ以降の出来事について、
そのただ中にあって、繰り返しその意味を問うています。
答えはなくても、問わざるを得ません。
避難者の方々もともに集われる礼拝の中で、
会衆の不安と葛藤に寄り添う言葉を紡ぐことが出来うるのかどうか、
牧師の務めを自覚しつつ、祈りつつ委ねる他ありません。
どうぞどなたでも、礼拝にお出かけ下さい。
今日は、広安愛児園での「ルタバ!?」の働きを激励した後、
健軍教会に宿泊しておられたボランティアさんを訪ねて
南阿蘇のタンポポハウスを訪ねました。
南阿蘇村役場の側にあって、障がいを持つ方々の作業所として
大きな役割を果たしてきた通所型施設ですが、
この度の震災後は、4名の利用者さんがここに避難してこられ、
限られたスペースの中で、利用者さん方の作業と生活と、
隣の体育館の方々の炊き出しのためにも、フル稼働してきたのでした。
健軍教会では、少しでもこの施設のスタッフさんの負担軽減になれば、と
中期的なスパンで張り付いておられるボランティアさんに
一時、宿泊場所を利用していただいたのでした。
気になったのは、倉庫になってしまった隣の建物に山積みされている支援物資。
この場所での大きな課題は、限られているスペースの問題でもあるようです。
地域の障がいをもつ方々の拠り所となっているタンポポハウス。
大切な働きに奮闘しておられます。
西原村から、グリーンロードを経由して南阿蘇に入り、
繰り返し通行止めの看板に阻まれ、迂回ルートをたどりながら、
ようやく今日のドライブの目的地、
長陽のルーテル阿蘇山荘にたどり着きました。
かつてルーテル教会が全国にもっていたキャンプ場の中で、
唯一生き残っていたのが、このルーテル阿蘇山荘です。
夏の中高生キャンプ、夏期聖書学校、健軍教会修養会など、
ひと夏に何度も泊まりに来るわけですから、
わたしにとっても、また九州教区の信徒さん方にとっても、
とても愛着の深いキャンプ場です。
「ガラスが割れたりしているけれども、建物は建っている」、という
伝聞情報を耳にしていたのですが、実際眼にすると、
その被害はとても軽度とは言えないことがわかります。
今後のことは、建物を所有・管理しておられる九州ルーテル学院さんと、
話しあっていかなければなりません。
帰りは、山の形の変わってしまった五岳や外輪山を
哀しい思いで眺めながら、
赤水からミルクロードを経由するルートで帰着しました。

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