2016年5月15日日曜日

健軍情報56-嬉しかったこと

あいかわらず、余震が続いている。
1ヶ月間で1400回ということだから、朝から晩まで、
平均すれば30分に1回は、体感できる地震がおきる。
これが1ヶ月間ずーっと続いている、ということだ。
まさに揺れている船の中で生活しているようなもの。
ブログを書いている最中にも、結構体感できる地震が起きる。
日中、立ち歩いたり活動している時間帯は、
震度3でも気づかないことも多いのだが、
寝ているときには、震度2だといわれても、
すごく大きな揺れに思えて飛び起きてしまう。
なんだか、夜ばかり地震が起きる、という話になるのは、
そういうことなのだろう。
 
今日気象庁は、今後2ヶ月は震度6弱の地震に警戒する必要がある、
と発表した。けれど、この発表に落胆し、
さらなる不安と葛藤を抱えこんだ被災者の方々も多かったと思う。
車中泊を続け、おもいきり足を伸ばして寝ることができる日を願いつつ
本当にひび割れだらけの自宅にもどってもいいものかどうか、
判断に迷っている。
そんな方々の中には、やはり車中で粘るほかない、
と思い定められた方も、少なくなかっただろう。

東日本から避難してきた小学生の子どもが、
怖くて家の中には入れないので、家族みんなが車中泊を続けている。
教会で寝ておられる高齢の方の中にも、
就寝中に寝ぼけて、大声を上げられる方がおられる。
みんな不安なのだ。
楽観的な自分の性格が、申し訳ないくらいだ。
 
先行きも見えない中、少しでも安心を与えたいと思うのに、
耳にするニュースは、余震や犯罪など、不安をあおるものばかり。
実際にそこに危険があるのだから、
別に気象庁の発表が悪いわけではないのだけれど。
「1週間は余震に警戒」が、毎日続いて、1週間経った後でも
「なお1週間は余震に警戒」。
そのうちにそれが「2週間程度は余震に警戒」に変わって、
そして「あと2ヶ月は警戒すべき」、と言われてしまったら、
みんなは、いったいいつになったら、自宅に戻れるのか。
そしてわたしは、いったいいつ、本棚に本を入れるべきなのか。
 
さて、昨日に続いてなんだか、しめっぽい記事になってきた。
今日あった嬉しいことを記録しておこう。
ケアマネと区役所との話がうまくいったので、
避難者のおじいさん、来週にはアパートに入居できることになった。
これまで少しずつ経過は報告してきたのだが、
話を聞いたおじいさん、ぱっと表情が明るくなった。
この表情は嬉しかった。
 
地下の水道管が断裂し、自宅の水道が復旧しなかったフィリピン人のお母さん。
何度大家に電話をかけても、順番待ちの一点張りだったのだけれど、
職場の上司に相談したら、水道屋を手配してくれて、
今日になって、ようやく自宅に水道が開通した、との報告。
これも嬉しい。
これで彼女も、ここからの「卒業」の目処が立ったことになる。
 
この3~4日、軽い咳から、しだいに激しい咳へと移行しつつあった
避難者のおばあさん。
昨日、病院に連れて行ってもらい、新しい薬を飲み始めたところ、
てきめんに咳が軽くなってきた。
免疫力はさがっているし、おかゆしか召し上がらない。
肺炎になどに移行したら、年齢的にもややこしいことになりかねない。
早めに受診してもらって正解だった。これも嬉しかった。
土曜日なので、教会員が集まって、礼拝のために教会そうじ。
あちこち整理したり、片付けたり。
高校生になった息子が、電気工具をもってきて
古い家具を解体してくれる。
少し頼もしくなっきた。
教会そうじを終えて、お茶の時間。
会堂にさし込む光が色ガラスを通り、聖壇がカラフルに照らされる。
上田設計事務所の設計意図が、もっとも反映される時間帯。
震度7×2にも、びくともしなかった礼拝堂。
上田憲二郎先生、ありがとうございました。



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